「孤食」と「ぼっち飯」の肯定的意図ー笑いと健康の意外な関係(中編)ー

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「一人で食事をする高齢者は鬱になりやすい?ー笑いと健康の意外な関係(前編)ー」はこちら

 

「高齢者だけの問題では無い」という話

「孤食」や「ぼっち飯」だという自己認識があり、そのことに苦しんでいる人をベースに考えてみましょう。「孤食」「ぼっち飯」のどちらについても「孤独」という状況の認識ができているといえますよね。でも、結果としてその状況から脱出できていない。つまり、自分が身を置いている状況を把握できているにも関わらず、その状況を解決するための方法を選択できていないということです。

こんな風に考えると、どうも私はこの問題が高齢者だけの問題ということではなく、若者や子ども社会においても同じように存在しているように思えて仕方がないのです。では、この「やりたいこと」や「なんとかしたいこと」があるにも関わらず、それができないという状況は一体どういうことなのでしょうか?

ちなみに、コチラの記事「孤独・コミュ障から脱出したいあなたに(前篇)ー孤独な人≠非社交的な人ー」でも書いたように、社交的でない人は必ずしも社交スキルがない訳ではないという研究結果が海外で上がっています。

そして、コチラの記事「孤独・コミュ障から脱出したいあなたに(後篇)ー対人スキルよりも大切なことー」では、対人場面での「あがり症」が緊張を引き起こし、コミュニケーション能力を一時的に低下させるということが研究結果として出ています。これらから見えてくるのは、「孤独な人=非社交的」という捉え方は本質を突いていないということです。ということで、コミュニケーション能力の観点以外から「孤食」と「ぼっち飯」について考えてみましょう。

 

「孤食」と「ぼっち飯」の肯定的意図

ところで、肯定的意図という言葉をご存知でしょうか?

意思ある行為から、当人なりの意味を肯定的に解釈したもの。他人から見て否定的な行為であっても、本人には肯定的な意図が含まれているというもの。

はてなキーワード-肯定的意図

例を挙げると、「タバコを止めたいのに止められない」「本当は妻を愛しているのに、キツいこと言葉ばかりかけてしまう」などでしょうか。他人から見ると「やめとけばいいのに」と思えるような行動を止めることができないのは、その裏に自身にとって肯定的な意味があるからだ、という考え方です。「孤独」に苦しむ人についても同様の意図が見受けられると思いますので、ここでは肯定的意図の観点から「孤食」や「ぼっち飯」について考えていきます。

では、「孤食」や「ぼっち飯」の肯定的意図とは何でしょうか?実は、この記事を書いている私も孤独を愛する人ですので、「ぼっち飯」の肯定的意図について心当たりがたくさんあります。ということで、私のケースをもとに考えていきましょう。

 

「T」のケース

大学入学時「オリエンテーションで誰にも話しかけない」「自己紹介でスベる」など、キャンパスライフのスタートの仕方を間違えたせいで在籍していた専攻で浮いてしまった。それでも入学当初は食事に誘ってもらうことがあったが、一緒にご飯を食べていても会話に参加することが中々できずに笑っているだけだった。周りの話が弾んでいるせいで中々移動しないことも多く、どうでもいい話を長々と聞くのも面倒だった。そもそも、あまり学食があまり好きでは無かったので、食事自体も満足できていなかった。

次第に、食事に誘われても「用事がある」と断って一人でご飯を食べるようになった。当時、サークルには友人がいたため、部室でご飯を食べるときは孤独ではなかったが、卒業までの4年間を専攻で浮き続けたため、結果的に「ぼっち飯」であることが多かった。

こうやって改めて書いてみると、なかなか中途半端に暗い話ですね。とりあえず、私から何個か例を挙げてみると、「一人の方が気が休まるから」「一人の方が自分の好きな店に入れるから」「好きなタイミングで食べられるから」「食べ終わったらいつでも店を出られるから」「気にせずスマホを触れるから」などでしょうか。こう見ると「ぼっち飯」が素晴らしいもののように思えてきますね。

しかし、ここで注意が必要なのは、肯定的意図というのは意識(顕在意識)で発生するものと、無意識(潜在意識)で発生しているものの2つがあるということです。そして意識上(顕在意識)で発生したものは自己認識しやすく、無意識化下で発生したものは自己認識は困難であるということ。また、前者については自分で気づきやすいため自己処理がしやすいのですが、後者については無意識に発生しているため自己処理が困難であるという点です。先ほど、私が挙げたものは意識上(顕在意識)のもので、潜在意識で発生しているものとは別の「建前」のようなものかもしれません。では、私の無意識下(潜在意識)で発生していた肯定的意図とは何か?

と、また長くなってきましたね。本当はこの回で完結しようとおもっていたのですが、続きは後編で書いていきます。

「孤独への願い」と「和合への恋心」ー笑いと健康の意外な関係(後編)ーはコチラ

翻訳:N.Y

文責:竹中辰也

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