【ここ喫ー8】素直になることの利益と弊害(後編) ー「私」の素直と「公」の素直ー

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前編【ここ喫ー7】素直になることの利益と弊害(前編)ー自分に素直であるということーこちら

前回の最後で「言い換え」について次回提案させてもらうってお話ししたけど、やっぱり今回も素直になることの「弊害」について掘り下げてみようと思うの。素直になることの素晴らしさを教えてくれる文献や映像はたくさんあるもの。「言い換え」については、次回以降にまたお話しするから楽しみに待っててね。

 

一つ目の弊害

誰もが一度は周りのヒト達から「素直か・素直じゃないか」のジャッジをされたことがあると思うけど、後で一人になった時に一体何のために素直になる必要があるのかを冷静に考えられるヒトは少ないわよね。だって大体は怒られたり注意されたりした後だし、そういう時って『状態』が悪いから。で、何となく「自分は素直じゃないんだ・素直になれない自分が悪いんだ・だからいつも家の中でさえもこんな風にイヤな思いをするんだ」っていうイメージを持ちやすいんじゃないかと思う。これ、一つ目の弊害の「自己肯定感の低下」ね。

だいたい、素直になることのイメージって

「相手に対する服従(言われっぱなし)」だったり、「同調(言いなり)」だったりと、主体性が感じられなかったりすることってない?

負けず嫌いや意地っ張りじゃなくても、深く考えていけば素直になることってあまり良いイメージはないんじゃないかと思う。きよてっく的には面倒くさくてもなるべく自分の頭で考えたいし、鵜呑みにする前にしっかり咀嚼(そしゃく)したいから普段からヒトの話は『ちゃんと聞く』けど『素直に聞く』ことは少ない。

何故ならヒトの言うことを鵜呑みにして、上手く行かなかった時のダメージに耐えられるほど”器の大きな人間”じゃないし、水に流す”心の広さ”もない。かと言って誰かを恨みながら生活出来るほど”器用なタイプ”でもない。だから面倒くさくても自分の頭で考えて自分の心で咀嚼するほうが自分には合ってる。

 

「お風呂に入らなければいけない」ということ

例えば、私は子供の頃から入浴のタイミングを指図されるのがとても嫌だったのね。いまだに家族は私をお風呂嫌いだと思ってるけれど、それは大きな間違い。入浴というのはある意味一日の癒やしであり、リセットであり、寝る前の儀式であり、自分のタイミングで行いたい行為だったのにお風呂を沸かすヒト(家族)の都合や他のヒト(これも家族)の都合で入りたい時に入れなかった。誰かと一緒に入らなくちゃいけない時は、そのヒトのペースで行動しなければいけないのがとても嫌だった。

なのにお風呂に入るのは何のためかを尋ねると、私のため、だと言う。私が清潔で気持ち良くいられるように、ぐっすり眠れるように、明日も元気に活動できるように・・・・これって本末転倒、としか言いようがない。100%私のためならば、このタイミングで嫌がる私を入浴させる意味がわからない。結局ヒトと暮らすには秩序や相手の都合や事情を飲み込みながら生きるしかないことを、たかが入浴のタイミングから幼い私は感じたの。

ならば最初から「お父さんの都合で今日は先に入ってくれるとお母さんは助かるんだけどな。」とか「○○ちゃんが明日早いから今日は最後に入ってくれると嬉しいな。お願いできる?」とか、自分の都合を飲んでもらえるようお願いしてくれると、こっちもわかりやすいし、和平交渉成立ではないかしら。

もちろん「どの学校に行くか」「どういう仕事を選ぶか」「どんなヒトと結婚するか」という人生の大きな決断も、日常のトラブルに対する解決策もヒトによって全然違って当たり前。大人からのアドバイスというものは、ただ人生の先輩として、或いは自分を思ってくれるヒトの意見として『ちゃんと聞く』ことは大事だけど、『素直に聞く』必要はないと思うのよね。

 

「素直」というレッテル

相手の都合や周りの事情を瞬時に察知できる子だけが「素直な子」というのは、よくある”ごまかし”や”すり替え”、いわゆる子供だまし的な大人の理屈。これは大きくなっても一緒で、違いがあるとすればこちらの和平工作力が子供の頃より数段上がっただけの話。望まれる行動を取るか・取らないか、そこに「素直さのジャッジが入る事」に何ら変わりはないと感じているヒトも多いのではないかしら。「○○しちゃいけません」「○○しなさい」は相手の望む行動であり、「ハイ」と言える子だけが素直の評価を受けるのって、きよてっく的には恐ろしいと思うの。だって「イヤ」と言える子も素直な子だもの。

自分の意見を言ってるわけだから、たとえこちらの都合に合っていなくても、その子はその子の思いを素直にコトバにしているのよね。折り合いをつける事の大切さなら別の形で教えていくべきだわ。「素直か素直じゃないか」の判定をすることで、こちらの都合を飲んでもらう口実を上手くすり替えてないか?今、誰かの事を素直じゃない、と思ってるヒトは検証が必要だわね。

そもそも、素直さには『人の良さ』や『善人』に繋がるイメージがあって、多分ヒトはそこに惹かれるのよね。ふとした時に良い人願望・良い人神話がムクムクと顔を出す。やっぱり人類の永遠のあこがれ『良い人でいたい・良い人と思われたい』という衝動を抑える事は難しいのかもしれない。いつの時代もヒトは「立派な人」や「素晴らしい人」になるより『良い人』になるほうにベクトルが向きやすいのよね。「立派な人」や「素晴らしい人」にはなれなくても『良い人』になら自分にもなれそう、だからかしらね。だけど『素直になる』ことだけが『良い人』への道ではないのも事実だし、本当は『良い人』にならなくても周りにいるヒト達と上手くやるコトも出来るのよ。

っと、長くなったわ。今日はここまでね。次の喫煙タイムでは、今度こそ「言い換えの技術」や「素直じゃない事のメリット」を含めた『素直じゃない生き方のススメ』的な話ができればいいわね。

文責:きよてっく♀

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