【Ura記事-2】孤独は好きだけど、孤独こそ人間の「最大の敵」だと思ったりもする
- 2015/10/20
- Uratech

この記事は
孤独・コミュ障から脱出したいあなたに(前篇)ー孤独な人≠非社交的な人ー
孤独・コミュ障から脱出したいあなたに(後篇)ー対人スキルよりも大切なことー
のUra記事です。
孤独でなにが悪い?いや、悪くない!
上であんな記事を書いておいて何ですが、私はどっちかというと孤独が好きなタイプです。人混みが嫌いだし、行列とか並ぶなんてありえないし、朝夕の電車は混んでいるからなるべく乗りたくない。買い物では服でも何でも「良い店員」以外に接客されたくないからamazonやネット通販が大好きで、飲食店は「すいませーん」を言うのがめんどくさいのでなるべく呼び出しスイッチが付いているとありがたい。必要な人以外との関わりをなるべく減らすために情報収集はネットでの検索を駆使し、ゲームはシングルプレイが充実しているものばかり。友人と会うのは隔月~四半期毎(3ヶ月)に1回くらいで充分で、遊びの話なんかよりも仕事の話をしながら飲んでいる時が一番楽しかったりします。
「楽しいこと」とは、そもそも大体が一人でいる時にほぼ完結している感じです。だから、「誰かといる時」は「誰かと一緒にいないとできないこと」がしたいという気持ちがあります。一人の時にもできることなら、なるべく一人でやりたい。なぜなら、その方が余すところなく楽しめるから。というか、一人での楽しみ方と皆でいる時の楽しみ方は全く別モノですよね。一人で遊ぶマリオカートと、皆で遊ぶマリオカートは違うのです。見た目は寂しいかもしれないけど、一人で遊ぶマリオカートも充分楽しいのです。そもそも一人でやると面白くなくて、皆でやらなきゃ面白くないなんてものは世の中にあまり無いのです。たとえそれが「じゃんけん」であっても、人は一人で楽しむ術を見つけることができるはずです。たぶん。
人間の「最大の敵」ってなんだ?
時々、人間の「最大の敵」について考えることがあります。病気とか、爆弾とか、拳銃とか色々あると思いますけど、私たちが思い浮かべる本当に怖いものって、大体が「死」に繋がっているものが多いような気がしませんか。そういう流れで考えていくと「死」こそが「最大の敵」であるはずなんですが、不老不死にでもならない限り勝ち目がないので、とりあえず候補から外します。どうにかすれば勝てそうだけど、なかなか勝てない感じのやつが最強だと思いますので。
そんなこんなでとりあえず漠然と行き着くのは「死」にまとわりつく「寂しさ」や「恐怖」こそ最大の敵なんじゃないかなということですね。死後に世界があるのかどうかは知りませんが、どんな幸せな死に方であったとしても知り合いが亡くなると寂しいし、自分が死ぬ時のことを考えると恐怖と寂しさが一緒にやってくるような感じがします。で、私がこれと似たような感覚を覚えるのが、孤独でいることが辛くなった時です。
嘘でも誇張でもなんでもなく、ホントに孤独は大好きなんですよ。でも、孤独でいることが耐えられなく時があるんです。昔、フリーランスで仕事をしていた時に、仕事のやり取りをネットの文面で完全に済ませていたので、半年間くらいほとんど家族以外と話さないことがあったんですね。しかもその頃私は家族と険悪な状況にあったせいで「おはよう」と「おやすみ」くらいしか会話が無かったので、ほんとに会話のキャッチボールをしていませんでした。仕事柄、世の中で起きている出来事や情報を人一倍知ることができていましたし、仕事を通じて人から反応をもらうことはできていましたが、やはり文面なので物足りない。仕事に興奮はあっても充実は無いような感じでしたけど、忙しかったのでひたすら孤独に頑張っていました。
そんな中、違和感に気付いたのは何ヶ月ぶりかに友人と電話で話した時のことです。久しぶりの会話ですごく嬉しいはずなのに、上手くしゃべれないんですよね。話したいことは山のようにあって、何時間でも話したいのにクチが動かない。それも精神的なものではなくて、肉体的にクチが動かないんです。「滑舌が悪い」の進化版です。声も小さくなっていたせいか聞き返されることも多く、これはマズいと思ったので近々飲みにいく約束をして電話をすぐ切ってやり過ごしましたが、この時はじめて孤独でいることが怖いなぁと感じました。元々、自分から誰かを誘うなんてことはしたことがなかったんですけど、この時ばかりは敢えて自分から人に会いにいきましたね。
ある意味、孤独な状況を楽しめる人が最強という説
ということで、「寂しさが度を越すと心や体が自分で制御できなくなるという実体験」を長々と書いてしまいました。月並みかもしれませんが「なんでも度が過ぎるとよくないなぁ」ということです。なので、そのあたりのバランスをとれるヒトを見るとすごいなぁと思います。一人でいたいときに誰かと会ったり、誰かといたい時に一人でいたり、なんだかカッコいいような気がします。大人だなぁと。でも、そういうヒトに自分はなれるか?といえば多分無理ですし、あまりなりたくないのかもしれません。食べ過ぎなのに食べたくないものを食べたり、飲み過ぎなのに飲みたくない酒を飲んだり、吸い過ぎなのに吸いたくもないタバコを吸ったりみたいなこととよく似ています。
そもそも孤独が好きな時点で、「我慢」みたいな状況があまり好きではないのです。孤独で、ヒトと一緒にいる楽しさを知っているからこそ、それが自分にとって負荷が少なく無理のないものにしたいんです。でも、そんな風に考えた時点で違う無理をしていることにもなります。だから結局は、同じ無理をするなら楽しんでいる人が最強というワケですね。なるべく普通に生きたいものですが、「普通」ってなかなかハードルが高いものです。そもそも「普通の人」はそういうものに気づくこともないと思いますので、ある意味、「孤独でいたい」と思った時点で普通でいるための資格がなくなってしまうかもしれません。そんな資格があるのかどうかはわかりませんが、特に私は間違いなく無いと言えるでしょう。
まぁでも、それでもやっぱり孤独が好き。
文責:竹中辰也
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