【Ura記事-1】働く側も雇う側も、無理を通そうとするのが、そもそも「ムリ」なのだ
- 2015/9/16
- Uratech

この記事は、[ブラック企業からの求人は拒否!「青少年雇用促進法」で何が変わる?]の裏記事です。
「ブラック企業」という「原因」と、被害体験という「結果」
上の記事では「ブラック企業」「ブラックバイト」などの問題が目立ってきていることを書きました。ではこれらの問題が社会にとってどのように不都合であるかというと、いまいちハッキリしていません。「ブラック企業に就職するかもしれないから、働きたいとか思える訳ないじゃん」とか「労働者に苦痛を与える企業なんてけしからん!」とか、「そもそもブラック企業なんかで働くからダメなんだ」人によって様々な意見があると思いますが、そもそも働く側の問題なのか、雇う側の問題なのかすらもハッキリとしません。この問題の根本にあるのは一体何なのでしょうか。
まず問題の是非を考える前に抑えておきたいのは、この「ブラック問題」は「原因」と「結果」が別々に存在しているということです。例えば”「ブラック企業」で過酷な労働を強いられている”というケースがあったとすると、体調を崩す前に対処できる人もいれば、体調を崩してから対処をする人もいると思いますので、全てが全て「体調を崩す」という結果になるわけではありません。要するに「原因」と「結果」は別次元の話であるということです。なので、この「ブラック問題」については「原因の回避」、「結果の回避」についても別々に考える必要があります。
「原因の回避」と「結果の回避」
そもそも「ブラック問題」雇う側と働く側の問題なので、法律によって処罰が厳格化すれば効果こそあるかもしれませんが、「ブラック企業」を撲滅するなんてことは不可能な話です。多くの人が「犯罪は良くない」という認識を持っているものの、犯罪がなくならない現状があるのと同じですよね。企業が存在している限り、良い企業もあれば悪い企業もある。誰かがブラック企業で働くという事実も可能性も無くなりません。
もちろん、「ブラック企業」を回避する方法もあります。他人からの情報を元に応募する会社を絞れば良いですし、今ではwebのおかげで色んな情報を誰でも手に入れることが可能です。しかし、こうした行動によってブラック企業で働く可能性を減らすことはできても、それは一面的なものです。なぜなら「ブラックさ」を判断するのは人によって基準がことなりますし、ヘタすれば誰かの「ホワイト企業」が自分の「ブラック企業」になることだって起こり得ます。絶対に「ブラック企業」で働きたくなければ、そもそも働くことを止めるか、自分自身で「ホワイト企業」を作るかしかありません。誰でも「ブラック企業」なんかで働きたい訳がありません、でも働かずに充実して生きるというのも現実的ではありませんよね。
ということで、この「ブラック問題」においては、
①「ブラック企業」で働かないようにするための方法
にチカラを入れるだけではなく、
②「ブラック企業」で働いてしまった時の対処方法
について具体的なノウハウを知っておくことが重要であるといえます。このあたりは前段で述べた、②「結果の回避」にも繋がりますね。「ブラック企業」を回避することよりも「ブラック企業」で働いてしまった時にどうするかが一番大切なのです。いわば社会で生きるための護身術的なものですね。必要な知識とノウハウについて知っておくために主体性を発揮することが、護身術のキモです。何かあったらまず逃げる、相談する、そして対処する。これだけで悲劇的な結果は回避できるはずです。
ただ、ゴマかせなくなってきただけ
そもそも「ブラック企業」という言葉が広く注目を集めたのは2013年の「新語・流行語大賞」の受賞を通じてですが、労働組合という組織が存在していることからも理解できるように、そもそも「ブラック企業」というものは昔から存在しています。高度経済成長の時代には多少ブラックであっても給料は保証されていましたし、どんな企業でも成長が見込めたので後ろ暗い気持ちは無かったでしょう。それに仕事自体もそんなに高度ではありませんでしたし、仕事を辞めたとしても次の仕事は簡単に見つかったはずです。要するに、我慢できる土壌や簡単に辞められる気軽さがあったということです。
しかし、今は違います。コストダウンと利益確保が一体化しているため、たとえアルバイトであっても業務量は多く、その内容もややこしくなる一方です。もちろん正社員は責任も尚さら大きくなりますので、会社にぶら下がっているだけでも大変であるということは明白です。求人業界がキャリアアップやキャリアチェンジを推奨しているように、働き続けるには転職やスキルアップが不可欠という状況であるにも関わらず、それに伴った知識やノウハウを身につけるための方法は、昔から変わらず「社会に出る」という一択しかありません。学校で学んだことも、ほとんどが直接的に仕事で役に立ちません。必要なことは働きながら学ぶしかないのです。それも学び続ける以外に方法はありません。「働き続ける」は「学び続ける」ということなのです。
働く側も雇う側も、無理を通そうとするのが、そもそも「ムリ」なのだ
これらから分かることは、雇う側も働く側もどちらもが誤魔化せなくなってきたということです。雇う側は本当に儲かる仕組みを追求しなければ「無理」が積もっていきますし、働く側は働き方を追求していなければ「もうムリ!」になってしまいます。我慢を美徳とする風潮が未だに根強いですが、中途半端な我慢の積み重ねが「無理」に繋がってしまうのであれば、「ムリ!」と爆発する前に「無理」を止めるのが一番最善です。そうすれば働き手がいなくなり、サービスの質が低下し、顧客は離れ「ブラック企業」も自然消滅するでしょう。すでに数々の大手飲食系企業が「ブラック企業」というレッテルを貼られており、多くの人が「自分はブラック企業で働きたくないし、サービスも利用しない」という意思を表示しています。こうした姿勢をあらゆる企業に対して持つことが、「ブラック企業」撲滅の近道であるのかもしれません。
ただ、簡単に仕事を辞められない人が多いのも事実なので、なるべく長期就労に役立つ資格や技術の取得を、国が法律でサポートしていけば最善だと思います。特にやり手の企業や先進的なシステムに取り組んでいる企業がアドバイスしていけば、良い仕組みができていくと思うんですけどね。最早、終身雇用なんて幻ですし、正規雇用も不自由さの方が目立ってきていますので、正規・非正規雇用関係なくどんな働き方でも働きやすくなるだけのキャリア形成のシステムができれば、働きやすい社会がやってくるのではないかと思います。しかしまぁ、それもこれも自分で切り開いていくのが一番早い話だと思いますので、「無理」をせずに働く方法を探すのが最善ではないでしょうか。とりあえず、働きたいと思う人が、人生を終えるまで打ち込み続けられる仕事があるというのが、一番の幸せなんじゃないかなぁと思います。
私は「仕事をしなくても生きていける社会」がやってきたとしても働くつもりですが、働きたくないという人が働かずに済む社会があれば良いな、とも思いますので、そのあたりのバランスが取れるような社会になれば最高だと思うんですけどね。社会構造そのもののイノベーションも、ロボットやITによって人間の生活コストが劇的に下がれば不可能な話ではないと思いますので、優れた人たちによる不断の努力と、テクノロジーの進化をフォローしていきたいものです。
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