相手のことを理解するためのコツ「地図は領土ではない」という考え方① 図法編
- 2015/9/4
- いきる

相手の考えていることが理解できなくて苦しい。
あるいは、自分の考えを理解してもらえず悲しい。そんな風に思い悩むことってあったりしませんか?
もう知らん!と考えることを放棄したり、絶対相手が間違っている!とか、きっと自分の考え方がおかしいんだ…とか、いっそ割りきってケリをつけてしまえば楽になれるけど、そんな簡単に考え方を変えられる人ってそんなに多くない。あと、会社などでは上手く流すことができても、家族や兄弟の間では流すことができなくて、言い争いになったりすることもあるでしょう。人間にとって、理解できない・されないということは不要な衝突や疲弊を招く原因であるといえます。だから、なるべく自分と考え方の近い人と一緒に居たい、というのは人間にとって当然の行いなのかもしれません。
ちなみに私takenakoも簡単には割り切れないタイプで、自分の意見の方を大事にしてしまい相手を怒らせることが多かったように思いますが、カウンセリングやマネジメントの勉強を通じてある考え方を知ったことで、自分や相手の常識・価値観との付き合い方がかなり楽になりました。それは、「地図は現地(領土)ではない”The map is not the territory”」という考え方です。この考え方はアルフレッド・コージブスキー(1879-1950)が一般意味論の中で説いたもので、「単語はそれが表す事象そのものではない」と後に続きます。これを意訳してみると、「一つの捉え方が物事の真実ではない」とでも言えるでしょうか。地図はあくまでも一つの捉え方(解釈)であって、絶対的な要素ではないということですね。
しかし私たちが地図に頼って生きているのも事実です。私なんか、グーグルマップが無かったら膨大な時間を無駄にしているでしょう。地図は人間の生活の上でとても便利なものだから、ある意味絶対的な力を持っているとも言えます。しかし、私たちが日々活用している地図って、本当に絶対的なものなのでしょうか?
おそらく、地図と聞いて…
私たちが思い描く地図は「メルカトル図法」で描かれた地図であると思います。グーグル・マップなど一度は見たことのある地図で、誰しもが「正確な地図」だと思っているでしょうが、「メルカトル図法」は高緯度に向かうに連れ、距離や面積が拡大されるという特徴を持ってます。例えば緯度60度の地域の地図では、本来の面積から4倍に拡大され、グリーンランドの面積は実際より17倍も拡大されています。つまり、完全に「正確な地図」であるという訳ではありません。
また「モルワイデ図法」や「ヴィンケル図法」で描かれた地図も比較的身近ですが、「モルワイデ図法」は図が辺縁に行くにつれてひずみが大きくなるという特徴があり、「ヴィンケル図法」は全体的なひずみを抑えた結果、逆に全体的に小さくひずんでしまい正しい要素が無いといった特徴があります。
具体的に地図の誤差について説明すると、メルカトル図法で描かれた地図では、日本から東に飛ぶとアメリカに到着することになりますが、実際にはアルゼンチンに到着することになります。この点から見ても私たちがどの地図を見るかによって受け取る情報が大きく変わるということが分かりますよね。ちなみに、方位磁石が指し示す「北」は、日本付近では本当の北よりも約3~10度程変化するなど、方位磁石の指し示す方向すらも場所によっては真実とはいえなくなります。
上記のことから、地図や方位磁石すらも一つの認識の仕方の一つであって、その認識が全て正確な訳ではないということがわかります。そもそも、三次元のものを平面に描き直すときには必ず歪みが生じてしまうので、面積・角度・距離を同時に全て正しく表示する地図はあり得ません。我々が前面の信頼を置いている地図ですが、その「正確さ」は一面的なものであるということが理解できます。
ちなみにヨーロッパが中心の世界地図では、日本は東の端に位置していることになります。東や西という考え方も、場合によっては大きく変化してしまうということがよく分かる図です。また、世界情勢における「東」や「西」といった表現なんかも含めて考えると、いかに私たちが曖昧な表現を使いながら日常的な意思の疎通を図っているかが分かりますよね。北緯・南緯や西経・東経といった指標を使って会話するのも面倒です。私たちが誰かとスムーズに意思疎通ができている時というのは、いわば暗黙の了解が上手く機能しているとも言い換えることができるかもしれません。
「地図は領土ではない」という言葉に戻ってみると…
私個人の話で言えば、自分や他人の地図の「正確さ」にばかりに目がいってしまって、結果として「自分の地図の方が正しい!」といった主張になってしまったことがよくありました。どちらかと言うと私は理屈っぽくて、どんなことにでも根拠を求めてしまうタイプなので、「ソースはどこ?」とか「どうしてそれが正しいと言えるの?」なんて言葉がよくでていました。他人の言うことが自分にとっては曖昧に思えて、どうしても客観的事実が欲しかったからです。これって、自分の地図を元に他人の地図のマル付けをしていたようなものですよね。私にとっては客観的な地図であったとしても、他人からすれば主観的な地図でしかありえません。他の意見はぶつかり合うしかなく、意見の正しさをはかるためには他の見方が必要になってきます。では、根本に立ち返ってみましょう。
そもそも、「相手を理解したい・相手に理解されたい」というのは自分の正しさを証明することが目的ではありませんよね?ということで、これは結果ではなくプロセスであるといえます。もし、正しさを証明したいのであれば、論文にでもまとめれば良いのです。でも、もしあなたがこの理解の先に「本当に欲しい結果」があるというのであれば、証明以外の他の方法が必要になると言うわけですね。では、その方法とは何か?
それは「①相手の地図を理解すること」と、「②二人の間にある欲しい結果(アウトカム)を共有すること」の2つです。相手の地図の上に立つことで、自分が相手にどのように映っているのか理解できます。また、「理解したい・されたい」の先にある結果について共有することで、個人の話からチームの話として取り組むことができるようになるでしょう。一番大事なのは、それぞれの正しさを証明することではありません。「お互いの考え方を大事にした上で、欲しい結果のために二人でできることは何か?」を考えることなのです。
できれば自分を理解してもらってから、相手を理解したいところですが、どうやらまず自分が相手を理解することが、相手からの理解を得られる一番の近道だという訳です。
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